ロンドンハーツのカズレーザーさんドッキリを見て

 

一昨日はカズレーザーさんがドッキリ企画で出るということで、普段はあまり見ないロンドンハーツを視聴しました。クイズ番組が好きなのもあって、前々からカズレーザーさんが好きなのですが、底知れない魅力を持った方だと改めて感じました。

以前にドッキリ検証があったときは、VTRを見ているひな壇のカズレーザーさんの笑みがぎこちなく感じたんですよね。「人が良すぎる」とマネージャーさん達から注意を受けるくだりで、瞳から光が喪われていて、何かを堪えているような表情に見えました。だから、「いい人」扱いをされることがカズレーザーさんにとっては苦痛なんだろうか、とそのときは思ったんです。番組の意向でそういった演出をされることに、思う所があるのかしらと。カズレーザーさんの芸風は人を食ったような言動が多いですし、善人扱いされ過ぎることは「ネタ」に支障を来すこともあるでしょう。また、自分が思っている自身の性格と、外の高評価とのギャップもある。カズレーザーさんは人が清濁併せ持つことを理解して生きている方であって、性善説を支持している訳でもないのに、己のポリシーに従って行動している姿を僅かに切り取られ映像化されただけで、聖人のような扱いをされてしまう。ギャップにやり切れなさがあったのではないか、と思いました。

今回は、複雑そうな表情をしているところもありましたが、全体的に、柔らかくよく笑っていたなあという印象があります。笑みを堪えているように見える表情もありました。「いい人」扱いを共演者たちからされることも、コメントではやはりどこまでも謙虚でしたけれども、ある程度は素直に受け入れられているように見えました。前回のドッキリから半年間ほどの間に、何か心境の変化があったんでしょうか(もちろん、前に見た私の印象が間違っていたのかもしれませんが)。カズレーザーさんにとって負担にならないドッキリであったのなら、良かったと思います。弟子という、新たな縁が生まれた訳ですしね。

カズレーザーさんが弟子の中川さんに「力になれなくてすみませんでした」と頭を下げる姿には、本当に胸を打たれました。カズレーザーさんのお笑いに対する真摯さや、人に対する真っ直ぐさが清々しく、心根が美しいと評されるだけの明快な方ではないと知りながらも、ずっと目が離せませんでした。今後、何度も見返すことになると思います。